2016年11月8日火曜日

中日ドラフト4位笠原 PT学生からプロ野球選手へ

まとめ抜粋元:


2016 中日ドラフト4位笠原の数奇な人生 「理学療法士になるか」と野球部のない新潟医療福祉大を一般受験 入学後に野球部新設 そしてプロへ




 中日は28日、ドラフト4位で指名した笠原祥太郎投手(21)=177センチ、85キロ、左投げ左打ち=を 新潟市の新潟医療福祉大に訪ね指名あいさつした。
笠原は高校時代は無名だったが、 大学入学時に新設された野球部の1期生としてメキメキと頭角を現した。
投げ合いたい投手は同学年の阪神・藤浪晋太郎投手(22)。
高校時代、頂点に君臨していた右腕との対戦を熱望。
3部リーグから1部へとチームを引き上げた「アゲ力」をドラゴンズでも発揮する。

 4年前の自分からは想像もつかない世界が広がっている。
中田スカウト部長らから指名あいさつを受けると、笠原は「やっと実感が湧いてきた。
プロの世界に入るんだという気持ち」と表情を引き締めた。
新潟の大学から初のドラフト指名。先駆者となった左腕のこれまでを振り返ると、
数奇な軌跡をたどっている。

 新潟・新津高時代は無印だった。当時の最速は135キロ。
3年夏の県大会は2回戦で敗れた。大学は自宅から通えることを第一条件で探した。
その結果、理学療法士を志し、志望したのは新潟医療福祉大。
この時点で野球部はない。それが、だ。翌年から野球部が創部され、
監督には最後の夏で敗れた相手・新潟明訓の佐藤和也監督(60)が就任することを知った。

 「野球部ができていなくても、新潟医療福祉大に進学したと思う。
でも、佐藤監督がやると聞いて、それならやってみよう、と」。
つまり、部ができていなかったら、ドラフトで指名されることもなかった。
まさに奇跡のタイミングだった。

 チームは1年生のみ29人でスタート。笠原は一般受験組だった。
当時は屋内練習場もなく、最初の練習は雨のため体育館だった。
関甲新学生リーグに13年秋から参加し、最初は3部で5位。
そこから笠原の成長とともに快進撃をみせる。

 「高校時代は厳しく練習をするチームではなかった。
大学で本格的に練習するようになった」。走り込みや投げ込みなど、
コーチがつくるメニューをこなしていくうちに体力がついた。
「普通に練習して、食べていたら、大きくなって、球も速くなった」。
入学当時、75キロだった体重は10キロ増。球速も147キロを計測するまでになった。

 チームも3年春に2部で優勝し、秋から1部に。阪神1位指名の大山や
西武2位指名の中塚らを擁する白鴎大など強豪ひしめく1部でも、
笠原はいきなりシーズン73奪三振のリーグ記録を樹立。
さらに4年春には6勝無敗、防御率0・72という圧倒的な成績を残し、
その名をとどろかせた。





それじゃまるで高校時代の指導者が無能みたいじゃないか



そこはエンジョイ指導者とガチ指導者の違いと見てあげよう


日本のスポーツ教育って本当に遅れてるんだな
きちんとタンパク質摂ってきちんと寝てきちんとトレーニングしたらまだまだ日本人アスリートの平均値は伸びる


やるな



どうせプロじゃ通用しないんだし理学療法士になったほうがよかったのではなかろうか



理学療法士持っててプロ野球選手になれたならもうこの先の人生安泰すぎるな
まぁそれすら活かせないほど頭悪かったらどうしようもないけど


数年でクビかもしれない
でも、元プロ野球選手の理学療法士としてやってけるだろ

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